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加油台湾!台湾に対し恩返しの時

更新日:

  

はじめに〜台湾東部地震への支援について

台湾地震に関する義援金送付先

沖縄銀行
本店営業部
普通 2002903
台北駐日経済文化代表署那覇分処
タイヘ゜イチユウニチケイサ゛イフ゛ンカタ゛イヒヨウシヨ ナハフ゛ンシヨ

振込者名に頭に「ギエンキン」と入れてもらった方が親切です。ご協力よろしくお願いします。(お金の流れは、後半で説明します。)

6日午後11時(日本時間7日午前零時)50分ごろ、東部・花蓮県沖約18キロを震源とする地震が発生、同県花蓮市など各地で大きな揺れを観測した。

地震の規模はマグニチュード6・0、震源の深さは約10キロということです。

一刻も早くの救出と犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。

台湾については私の好きな場所であり、楽しい思い出がたくさん詰まった場所でもあります。

東日本大震災での支援、WBCの試合など台湾と日本には兄弟のような愛が温まる話もあります。

日本を愛し、大切にしてくれた「台湾」を皆さんで助けましょう!

よろしくお願いします。

台湾東部で発生した地震の概要

台湾東部でM6の地震 2人死亡、日本人2人含む200人以上けが ホテルなど傾く

 【花蓮=田中靖人】台湾の中央気象局によると、6日午後11時(日本時間7日午前零時)50分ごろ、東部・花蓮県沖約18キロを震源とする地震が発生、同県花蓮市など各地で大きな揺れを観測した。地震の規模はマグニチュード6・0、震源の深さは約10キロ。

 行政院(内閣に相当)によると、花蓮市内のホテルなど4棟が傾くなどの被害を受け、2人が死亡、214人が病院に搬送された。一時、約700戸が停電、約4万戸が断水した。

 日本の対台湾窓口機関、日本台湾交流協会によると、この地震で邦人2人が負傷し病院に搬送された。けがの程度や旅行者かどうかは不明。

 花蓮の消防当局によると、12階建て集合住宅兼ホテルでは、下層3階部分が崩れて十数人と連絡が取れなくなっており、軍や消防が救出を急いでいる。台湾当局によると、7日午前現在この住宅を含め約170人の安否確認が終わっておらず、犠牲者は増える可能性がある。

 蔡英文総統は7日午前、この建物を視察し、「今は(生存率が高い)重要な時期であり、捜索要員の安全を確保しながら捜索を急ぐ」と述べた。

 また、同市内で40年以上経営するホテル「統帥大飯店」は1、2階部分が崩れ、約130人が避難・救助された。報道によると、日本人客約30人が宿泊していたという。

 台湾では4日夜から東部を震源とする地震が断続的に起きていた。花蓮周辺では7日午前も余震が続いており、余震で女性が店舗から悲鳴を上げて飛び出す姿もみられた。タクシー運転手、官守安さん(58)は「大きな揺れが30秒近く続いて目が覚めた。余震で一睡もしていない。こんな大きな地震は何十年ぶりだ」と話した。

産経ニュース

台湾の地震、死者は6人に けが人は250人超す 救出急ぐ

 【花蓮=田中靖人】台湾東部で6日午後11時50分(日本時間7日午前0時50分)ごろ起きた地震による死者は、7日午後5時現在で6人となった。負傷者は254人が確認された。

 日本の対台湾窓口機関、日本台湾交流協会によると、日本人9人が病院に搬送され、現地居住の70代男性と旅行中の30代女性が軽傷を負った。男性を除く8人は7日に退院した。

 花蓮県花蓮市内で倒壊した4棟のうち、同市内の12階建て集合住宅兼ホテルでは、地上3階分が崩れた。現場では10人以上が建物内に閉じ込められているとみて、救出を急いでいる。

産経ニュース

台湾の花蓮で発生した地震の最新状況について

 2月6日23時50分(日本時間2月7日0時50分)に台湾の花蓮県で発生したマグニチュード6.0の地震は、花蓮市および宜蘭県南澳で震度7を記録し、多くの深刻な被災状況が報告されています。台湾政府はただちに「0206花蓮地震中央災害即応センター」を立ち上げ、救災活動を行っています。同センターが発表した本日(2月7日)午後4時(日本時間5時)の最新データによると、死者5名、負傷者254名、行方不明者88名となっています。

 蔡英文総統は本日、自ら花蓮を訪れ被災状況を把握し、いかなる救援救助のチャンスも諦めてはならないと指示しました。

 当駐日代表処が確認したところ、この地震で9名の日本人が負傷し、花蓮にある3カ所の病院で治療を受けました。この中で年配の方1名が大事をとって入院され、ご家族とボランティアが付き添っています。その他の8名の方は皆、本日午前11時前後に次々と病院を後にされました。

 当代表処は、引き続き状況を見守り、今後も最新の情報を発表していきます。
「0206花蓮地震中央災害即応センター」

【台北駐日経済文化代表処 2018年2月7日】

台北駐日経済文化代表処

まだまだ行方不明者もいるそうで、被災者の数は増えていくかもしれない状況であるとの話をうかがいました。

一刻も早くの救出と犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。

東日本大震災における台湾の支援

震災直後10億円寄付した台湾人・張栄発氏を忘れてはいけない 「日本人より日本人的だった」実業家が東北に寄せた思い

 東日本大震災後の被災地の映像を目にし、涙した台湾人がいた。エバーグリーングループ総裁の張栄発氏(享年八八)。日本統治下の台湾に生まれ、一代で世界有数の海運会社を育てた実業家だ。縁深い仙台が被災し、直後に個人名義で10億円を寄付したことでも知られる。張氏は生涯、日本に思いを寄せ続けたが、昨年死去した際はメディアに大きく取り上げられることもなく、いま改めて偉功をしのぶ声が上がっている。
(外信部 塩原永久)

(3月11日に掲載した【東日本大震災6年】を再掲載しています)

続きを開く
 日本統治期の1927年、台湾北東部に生まれた張氏は、少年時代から海運会社で働く一方、夜間学校に通い苦学して航海士となり、船員生活を送った。会社を設立後、日本で購入した中古貨物船で海運業に乗り出したのは、30代前半のことだった。

 68年、グループ前身の長栄(エバーグリーン)海運を立ち上げ、80年代に国際コンテナ船業務を柱に事業を急拡大。史上初の世界一周航路で名をはせた。89年にはエバー航空を設立して航空事業に参入し、ホテルや金融を抱える巨大グループに成長させた。

 6年前の震災発生時は、経営の前線から身を引きつつあった時期に重なる。震災は張氏の目にどう映ったのか。巨大な津波が仙台市の海岸部や、東北の市街地を飲み込んでいくニュースは、台湾でも大々的に報じられていた。3月11日、エバー航空がすでに定期便を飛ばしていた仙台空港に大津波が押し寄せたのは、地震発生から約1時間後の午後4時前後だった。

 時差で日本より一時間遅い台北にある総裁室で、張氏は、テレビで流れるニュース映像をみて涙を流していたという。

 地震後すぐ、張氏はポケットマネーから、被災地への巨額の寄付を決め、日本赤十字社を通じて送った。また、海運や航空のグループ傘下企業に対し、毛布などの支援物資を運搬するよう指示。エバー航空の機材を使用して、各国政府や国際援助組織の物資まで、無償で日本に運んだ。

 後日、深刻な被害が判明するにつれ「眠れないほど胸を痛めた」と述懐した張氏。被災地に惜しみない支援を即決したのは、とりわけ仙台の地が、張氏の心情に訴える場所だったからかも知れない。

 事業拡大にいそしんでいた張氏が、日本各地の港湾に苦心しながら進出しようとした際、まず神戸港(兵庫県)が、そして仙台港(宮城県)が門戸を開いてくれたのだという。台湾の新興企業にとって参入は簡単ではなかったのだろう。生前に張氏と親交を深めた全日本空輸の元台北支店長、池本好伸氏(69)は「あのとき仙台が温かく迎えてくれたことに、張氏は恩義を感じていたようだ」と話す。

 エバー航空が日本路線を増やしていく過程でも、張氏は仙台空港への就航に並々ならぬ意欲をみせていたと、池本氏は振り返る。

 日本語で教育を受け、「日本人以上に日本人的だった」(池本氏)という張氏。その勤勉さや、徹底して物事を突き詰めようとするエピソードも伝わる。

 張氏の関連品を集める張栄発文物館(桃園市)の図書館に保管されているのは、張氏が勉強に使った海事書などだが、几帳面(きちょうめん)なメモが書き込まれ、読み込まれて縁がボロボロになっているものばかり。全日空の支援を得ながら航空事業に参入するにあたっても、ありとあらゆる関連書籍を日本で買い込み、「徹底した勉強ぶりだった」(池本氏)。

 海運業の拡大期には、大手商社の丸紅から資金面をはじめとする支援を受け、同社とは長期的に協力関係を持った。日本統治時代の台湾を知る世代にとって、日本との縁は生涯、ただならぬものだったに違いない。

 「どんな人でも一生の間に多かれ少なかれ他人の授けを受けるものだ。(略)受けた恩は十倍にして返さなければならない」(張氏の口述自伝『本心・張栄発の本音と真心』から)

 そんな思いが強かった張氏が、震災後の日本への支援を惜しまなかったのは、自然な気持ちだったのかもしれない。一方、自身が受けた恩義を社会に還元したいという思いから、85年に奨学金を提供する張栄発基金会を設立。慈善活動や教育支援に力を入れてきた。

 もっとも、自分の功績や手柄をひけらかすようなことが嫌いだった張氏は、震災後の義援金についても、表だって話すことを好まなかった。

 平成24(2012)年春の叙勲で、張氏は旭日重光章を受章した。関係者でお祝いの席を用意しようと持ちかけたが、張氏は固辞したという。また、自分の死後は「すべての遺産を寄付する」と明言していた。

 昨年1月20日に死去すると、張氏による東日本大震災後の多大な日本への支援が改めて注目され、ネット上では「(張氏の)名前を知らない人もいるかもしれないが、感謝の気持ちを忘れるべきではない」などの声が寄せられた。

 台湾と日本との深い縁を体現したような人生を送った張氏。カラオケの定番は千昌夫さん。日本の流行事情に最後まで関心を寄せ、後年、日本を訪れるたび、100円ショップでの買い物に何時間も費やすこともあった。

 日本と航空路線の開設などをめぐって折衝をしてく中で、対中関係をことさら配慮する日本側の事情についても、張氏はよくよく理解していた。海運や航空事業で、世界的なビジネスを展開していた張氏にとって、逆にいえば、日本は「多くの商売相手の中のひとつ」という位置づけであったともいえる。

 張氏が台湾と日本の関係について語った、こんな言葉が池本氏の記憶に残っている。「台湾は人口わずか2300万人。日本との関係なくしては、どうにもならない。だから日本にはもっともっと、しっかりしてもらい、台湾を引っ張っていってほしい」。

■張栄発(ちょう・えいはつ) 1927年10月、台湾北東部・蘇澳生まれ。父は郵便局員や船員だった。北部の基隆に移り、少年期から日系海運会社に勤務、夜間に商業高校に通う。複数の会社で一等航海士や船長を務め、61年、海運経営を始める。68年、長栄海運設立。コンテナ船事業に進出後、事業を拡大。89年に台湾初の民間航空会社エバー航空を立ち上げた。85年、慈善団体の財団法人張栄発基金会を設立。平成24(2012)年、旭日重光章。16年1月、死去。グループ傘下企業の売上高の合計は日本円で1兆円を優に超える規模で推移している。

産経ニュース

 

外交部:台湾の政府と民間による日本への義援金一覧

3月11日に日本で発生した大地震および津波被害に対する、台湾の政府と民間による義援金について、外交部NGO委員会が4月15日12時時点でとりまとめた義援金総額を発表した。

それによると、政府による義援金合計額は、5億3651万元(約15億2000万円)、民間団体による義援金合計額は、39億2545万元(約111億5000万円)で、総額44億6196万元(約126億7000万円)となった。

詳細は以下のとおり:

●政府機関による義援金  
5億3651万元
(約15億2000万円・1元=約2.84円)

  • 外交部・3億5792万7675元
  • 新北市政府・5491万元
  • 台中市政府・2959万元
  • 雲林県政府・25万元
  • 南投県政府・806万元
  • 南投県草屯鎮公所・82万元
  • 南投県鹿谷郷公所・283万元
  • 彰化県政府・199万元
  • 台南市政府・2730万元
  • 桃園県政府・486万元
  • 高雄市政府・3732万元
  • 内政部賑災専戸・67万元
  • 合計181万元、この内の114万元は外交部の専門口座へ

●民間団体による義援金  
39億2545万元(約111億5000万円)

  • 中華民国紅(赤)十字会総会
    18億7272万元
    (政府援助の1億元を含む)
  • 台湾世界展望会・3億5000万元
  • 慈済慈善事業基金会・14億9295万元
  • 中華基督教救助協会・957万元
  • 中華民国聯合勧募協会・5730万元
  • 台湾家扶基金会・4692万元
  • 台南市美好社区関懐協会・100万元
  • 民進党党本部・8350万元
  • 長栄集団・張栄発氏の個人名義→日本赤十字社へ約3億6380万元 
  • 中国信託慈善基金会→東京消防庁へ約3500万元(1億円)
  • 台湾省佛教会→岩手県庁へ 
    1469万7764元(3団体総額)
    中華佛教比丘尼協進会・屏東県佛教会
  • 松山慈祐宮
    5月1日に愛媛県松山市・野志克仁市長来台時に1100万元

             
以上の※4件も加えると政府および民間団体による東日本大震災の義援金は48億8,645万元(約139億円)となる。

                    
【外交部 2011年4月15日】
台北駐日経済文化代表処

ネットでは、200億を超える義援金とありましたが根拠が見つからなかったので「台北駐日経済文化代表処」のプレスリリースを使用させてもらいました。

義援金の送金先について

義援金の送付先に関する問い合わせが多くあったため、那覇日台親善協会を通じ台北駐日経済文化代表処那覇分処(実質的な領事館)に問い合わせいたしました。

(那覇日台親善協会会長様ありがとうございました。)

台北駐日経済文化代表処

台北駐日経済文化代表処は、中華民国(台湾)の日本における 外交の窓口機関です。

民間の機構ではありますが、実質的には大使館や領事館の役割を果たしています。

国際情勢の変動から1972年9月29日、日本と中華人民共和国が国交を成立させたことに伴い、中華民国(台湾)と日本の国交が断絶しました。

しかし、中華民国(台湾)と日本の関係は深く、貿易、経済、 技術、文化などの交流面で今まで通りの関係を保ちつづけるための実務機関として同年12月、中華民国(台湾)側に「亜東関係協会」(2017年5月17日に「台湾日本関係協会」に改名)、日本側に 「財団法人交流協会」(2017年1月1日に「公益財団法人日本台湾交流協会」に改名)を設立し、相互に在外事務所を設置する取り決めに調印しました。

この取り決めに基づいて、中華民国(台湾)と日本の両国は、台湾日本関係協会と日本台湾交流協会を通じて、お互いにそれぞれの権益を保護し、ビザ発給をはじめ貿易推進、学術・ 文化・スポーツ交流などの業務を行い、今まで通りの両国の深い関係を維持しています。

現在、駐日中華民国(台湾)大使に相当する台北駐日経済文化代表処代表は 謝長廷氏です。

台北駐日経済文化代表処は領事部、経済部、教育部、広報部、台湾文化センターなどが活動しています。また横浜、大阪、福岡、那覇、札幌には弁事処、分処を設置しています。

台北駐日経済文化代表処

その結果、台北駐日経済文化代表処那覇分処長から本国に確認する旨の回答を得て、メッセージをいただきました。内容につきましては

台北駐日経済文化代表処那覇分処長からのメッセージ

「0206花蓮震災中央災害應變中心協調報告:我消防署跨縣市救災人力充足,尚無國外救難單位支援之需要。另倘僑胞或外國政府、機構有意捐款,可先匯入衛福部海外捐款專戶:兆豐銀行國外部,帳號007-09-11868-0,需註明用途為0206花蓮賑災捐款。」

上記訳(赤木香さんのご友人に訳してもらいました。)

0206花蓮震災中央災害応対センターより報告:
我々消防署による災害救出活動は人員が充足しており、海外からの支援は未だ必要性がございません。
なお、華僑や海外政府、団体などからの義援金はこちら衛福部海外義援金口座:
兆豐銀行國外部
口座番号007-09-11868-0
用途欄に0206花蓮賑災捐款とご明記下さい。

国際送金の場合は、なかなか慣れていないところもあるので、那覇処長にご相談させていただいたところ
「台北駐日経済文化代表処那覇分処」に一度振り込んでもらうことの了承を得ることができました。

沖縄銀行
本店営業部
普通 2002903
台北駐日経済文化代表処那覇分処
タイヘ゜イチユウニチケイサ゛イフ゛ンカタ゛イヒヨウシヨ ナハフ゛ンシヨ

義援金の流れについては
1 皆様が台北駐日経済文化代表処那覇分処に送金する
2 台北駐日経済文化代表処那覇分処が台湾の厚労省に当たるところに送金する。(国際送金の場合の口座は、ここになるそうです。)

台北駐日経済文化代表処那覇分処が寄付を集めていると言うより、「海外送金がよく分からないので、台北駐日経済文化代表処那覇分処に台湾政府が声明している口座に代わりに振り込んでもらう」と言う形が適当であると思います。
※(追記)※台北駐日経済文化代表処は、寄付を口座を開いて受け付けてはいませんので寄付控除の方も受けれない可能性が高いと思います。
理由については、海外の政府へ直接寄付(那覇分処経由)をしているからです。
参考URL

と、いうことで政府機関から本国へ送金してもらうことで、確実に政府機関へ義援金が届くことを確認できました。

花蓮市を訪ねて

実は私は、花蓮市に行ったことがあります。

花蓮市は約100年前に日本から移民が移り住み日本人村として「豊田村」を作り、そこで生活をしたそうです。

終戦とともに日本人は引き上げましたが、それ以降についても台湾の方々が整備を続け、当時の建物(タバコ工場)があったり、歴史を伝えるものがありました。


田園風景が広がる旧豊田村



日本人が設立したもの。よく見ると扉に日本国政府の象徴である「桐紋」が見ることができます。

ただし、中の仏像については現地の方が別のものを収めているとのことです。


「開村記念」が見られます。これはお寺の中にありました。



当時の写真などが整理され、地元の記念館のようなところに掲示されていました。

また、ここを管理している?お兄さんが「近くに日本人のお墓があるよ」ということで、丁寧にそこまで案内してくれて、当時入植中に亡くなった日本人のお墓の整備を現地の台湾の方々がやっていくれている話を聞きました。









この場所は、松園別館といい、は1942年(昭和17)年、日本の重要な軍事指揮センター「兵事部」として建てられました。

周囲を琉球松に囲まれていたため、この名がついたそうです。

太平洋が見渡せる高台に置かれたので、視野は良好。美崙溪の入海状況ほか、当時は花蓮港や太平洋の船舶数、南機場の航空機の発着なども観察することができました。

また、松林に隠れた建物もその動向は周囲から察しにくかったようです。

日本統治時代は、将校、士官の接待宿泊所として、また特攻隊員が出征前に宿泊し、天皇からの「御前酒」を賜る場所としても利用されました。

今では、現代アートの展示場みたいな感じになって活用されていました。





これは、台北ですが日本で言う「国会」に相当するところで、中も見学したのですが「中は撮影禁止!」と言われました。

また、国会開会中にくると「乱闘」が見れるよ!と言っていました。

その後は、台北市議会議員をはじめ多くの方と宴席となりましたが、日本語が上手で(日本語+英語)で結構深い話をすることができました。

握手をしている御相手は、前花蓮市長の魏木村氏

まとめ

恩には恩で返す!それが日本人だと思います。

台湾に行った時に「あなたは、何人と答えますか?」と質問したところ「私は日本人です」と答えます。

私は日本人として生まれ日本人として教育を受けました。誇りある日本人です。

もちろん、現状は、中華民国いや、台湾人と言うのが正解かもしれませんが、心は日本人です。

日本が戦争に負けて悔しかった。同じ日本人として悔しかった。台湾の人は、台湾が日本に見捨てられたとか、捨て石にされたとか思っていませんよ。だって、多くの台湾人が日本を好きでしょ!?わはははは」と答えてくれました。

なんとも言えぬ感覚、お年はずいぶん召していらっしゃいましたが、人間としての活力は高い方でした。

私たちは、今でも日本を大切にしてくれている台湾・そして花蓮を助けましょう。

よろしくお願いします。



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