一票の重さ
選挙活動を書く前に、これは先に書きたい。
それは「一票の重さ」
投票用紙については、たった一枚の紙のため物理的な重さはほとんどない。
しかしながら、「一票」については重い。
有権者に「名前」を書いてもらうことは、その人の「気持ち」の重さであり未来を託す「希望」の重さでもあった。
今回については、2640票つまり2640人の気持ちをお預かりしたことになる。
「一票の重さ」という言葉は、以前から理解をしていたが「選挙」という活動を通じて、その真の意味がわかった・・・
いや、完璧には理解をしきってないかもしれないが、その真意に近づいた気がする。
自分の甘さ
決して自分自身としては、選挙活動をする前に選挙をなめていたりしてはいなかった。
しかしながら、今の立場から選挙前の自分に言えるのは
「あなたは選挙をなめてますよ」
と言える。
自分の想像では計れないものがあり、「一票」というものは「一人の心」それがわかっていなかった。
私のような「県外出身」「自衛隊出身」「準備期間三ヶ月」そのようなものがいたら、本当に選挙に出ることを応援できたか・・・・
第三者的な立場からすれば、応援をする前に全力で止めるであろう。
周囲の方にも選挙にチャレンジしようかと相談をした時は、「異口同音」に「辞めとけ!自衛隊の方がいいって」
そう言われた。
後から聞いた話だが、
「沖縄県・那覇市のために防災をやりたい!」
という気持ちを前面に出されて、気迫があったと言われた。
私はそんな気は無かったのだが「止めるな!」という気迫はすごかったらしい(笑)
後援会ができるまで
29.3.31に自衛官を退職した。
はっきりいうと、その時点では応援してくれる人はいたが「後援会」という形はなく、そもそも後援会の意味もよくわかっていなかった。
「後援会長は?」ということをよく聞かれたが、後援会長は選挙の告示前までいなかった・・・。
本心では、後援会長って何をする人?という感じであった。
今後のブログに書くが、全く意味がわからなかった。
その後、国場幸之助衆議院議員、自衛隊OBの佐藤正久参議院議員及び宇都隆史参議院議員をはじめ、様々な県議会議員の知識や経験を教えてもらった。
応援してくれる人を集めたり応援してくれる人から、さらに人を紹介してとカニ歩きみたいに紹介をしてもらった。
その時に名簿を作るなんてことは知らず、自らの記憶に頼りながら回っていった。
なんとか、ウェイクボード関係や年が一緒の人たち、自衛隊OBや行きつけの食事をする店員など多種多様な人とお会いさせて、その支援の輪は広がった。
いや、周りの人が広げてくれた。
期間が短いため、本来であれば何回かお話をさせていただいて協力を得るところではあるが、一度しか行けなかった方や電話だけしかできなかった方も多くいた。
そこは、本当に申し訳ないと、紹介していただいた人の顔に泥を塗るようなことをしたことに謝罪しかできない。
人が人を呼ぶ。
本当にそう思った後援会作りであったし、今後もそれに恥じない候補者になっていかなければならないと思っていた。
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