はじめに
今年で戦後74年目の8月15日がやってまいりました。
この日が来るたびに「世界の恒久平和」を切に願うものです。
私たちは、この日本があるのも戦争で散華された方々がいらっしゃったからだと強く思います。
今回は、例年通り「沖縄県護国神社」で執り行われました。
その時の様子を書きたいと思います。
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沖縄県護国神社
日清日露戦争以降、先の大戦までの国難に殉ぜられた沖縄県出身者の軍人、軍属をはじめ、沖縄戦にて散華された一般住民並びに本土出身の御英霊を祀る神社です。
昭和十五年、那覇市による皇紀二千六百年を祝う筆頭事業として護国神社の社殿・施設の拡充が計画され、昭和十六年九月本殿改修工事が終了し、同時に拝殿、神饌所等も建立されました。
しかし、昭和二十年の沖縄戦により神社も戦災を被り、戦後は本殿ほか一部の施設のみを残す状態でした。
その後境内地は学校用地として一時供用されましたが、沖縄戦での戦没者をお祀りしようとの声が県内各地から起こり、昭和三十四年四月に仮社殿が建立され戦後第一回春季例大祭を斎行しました。
同年十一月に靖國神社により沖縄戦にて散華された全国の御英霊の御霊代が奉移され、同神社権宮司池田良八氏を斎主に第一回秋季例大祭を斎行しました。
昭和四十年十月、社団法人沖縄県護国神社復興期成会(会長具志堅宗精氏)の尽力により、現在の本殿、拝殿が竣功し、十一月に天皇陛下から幣吊を賜り、還座祭並びに奉祝祭を斎行しました。
昭和四十七年五月の沖縄本土復帰を機に県へ宗教法人認証申請の結果、昭和四十八年十二月十八日宗教法人沖縄県護国神社として認証されました。
その後県民の神社として崇敬を集め、多方面からの奉賛を戴き、念願であった新社務所えお、平成二十二年十二月に完功しました。
那覇市奥武山 沖縄県護国神社
戦後74年
戦後74年経ちました。戦争体験者の方も非常に高齢化となり生きた経験を語り継ぐものも難しくなってきています。
今の日本があるのは、当時の方のおかげだと思って是非とも8月15日にこだわらず、春季秋季例大祭やその他の日でも「靖国神社」「各県にあります護国神社」に参拝していただきたいと思います
今回は、沖縄県護国神社みたま祭りに参加してきました。
少し蒸し暑かったですが、非常に心地よい風が吹いていました。
国旗の他、県旗も半旗となっていました。
祭事の中身については、youtubeでご紹介したと思いますのでよろしくお願いします。
護国神社にはその他にも「特攻の慰霊碑」などもありますので、是非8月15日にこだわらず足を延ばしていただきたいと思います。
また、写真は撮り忘れましたが、「護国神社」にご遺品を代わりに納めさせていただきました。皆様の周りでご遺品などなる方がいらっしゃいましたら、代引きでよろしいのでご寄付をお願いします。
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