はじめに
先日、台湾で行われた「台北駐日經濟文化代表處那霸分處前所長 蘇啓誠氏」が残念ながらお亡くなりになりました。沖縄で行われた送る会に参加できませんでしたので、台湾の送る会に参加してきました。蘇啓誠氏との出会いなどをご紹介させてもらいながら、蘇啓誠氏をご存知の方は日台の友好ついて想いを寄せてほしいと思います。

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蘇啓誠処長との出会い
非常に深くお付き合いが始まったのは、花蓮市で発生した地震の義援金の時でした。
(関連ブログはここをクリック~その1~)
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「台湾に対し義援金を送りたいのでご協力をよろしくお願いします!多くの日本人が台湾を救いたいんです。」と申し込んだところ少し悩んだあげた結果「ご協力しましょう」ということで強い協力をしていただけました。その後も様々な問い合わせが那覇分処に来たそうですが、丁寧に陣頭指揮をして対応していただいたと伺っています。
それ以降、蘇啓誠氏とはお付き合いいただきいつもニコニコして丁寧に対応してくれて、だれにでも好かれる方でした。
蘇啓誠氏の訃報
【台北=田中靖人】台湾の外交部(外務省に相当)は14日、台北駐大阪経済文化弁事処(領事館)の蘇啓誠(そ・けいせい)処長(61)が同日朝、自殺したと発表した。外交部は自殺の動機は明らかにしていない。
蘇氏は台湾南部・嘉義県生まれ。1991年に外交部に入り、台湾の対日窓口機関、亜東関係協会(当時)の副秘書長などを経て今年7月、那覇弁事処処長から大阪弁事処処長に転任した。
台風21号の影響で関西国際空港に多数の旅行客が取り残された問題をめぐり、台湾人旅行客への支援が不十分だったとして、日本にある台湾の出先機関の対応が批判されていた。この問題では、中国の駐大阪領事館が大型バスを手配して中国人を優先的に避難させたとの虚偽情報もネット上に出回っていた。
この訃報を聞いたときは本当に驚くとともに「えっ!?本当ですか?」という感じでした。未だに信じられない自分もいます。
その後の記事もたくさん書かれていますので、是非とも皆さんも検索していただきたいと思います。
蘇啓誠氏を送る会
台湾の東呉大学というところで行われ、多くの方々が参加されていました。日本で送る会が行われたこともあってか、残念ながら参加された日本人の方はやや少なかったです。
献花の前に蘇啓誠氏が沖縄のことを非常に好きであったことから「涙そうそう」を流していました。あの時の「涙そうそう」は深く胸に染み入っています。
本当に沖縄・日本と台湾の架け橋としてご尽力された蘇啓誠氏の思いを引き継いで、日台・日沖の親善を進めなければならないと感じました。
蘇啓誠氏とは
蘇啓誠(そ けいせい)処長:1957年8月1日生まれ。嘉義県出身。1979年6月、私立東呉大学日本語学科卒業。1981年6月、私立中国文化大学大学院日本文学専攻修士号取得。1988年4月、国立大阪大学大学院日本学専攻修士号取得。1991年1月、外交部に入る。以降、台北駐日経済文化代表処、亜東関係協会、那覇弁事処での勤務を経て、2013年12月、駐・那覇弁事処長に就任。
本当に日本を愛し、台湾のことを丁寧に教えてくれた蘇啓誠氏
蘇啓誠氏を想うかたはたくさんおり、それはさまざまな事をやってきたからです。
そのほかにも「沖縄タイムス」や「琉球新報」にも多くの投稿をおこない、提言等を行っていました。
蘇啓誠氏の想いを継いで、自分のできる範囲で日台・日沖の更なる交流に努めていきたいと思います。
蘇啓誠さん。やすらかにお休みください。
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