はじめに
こ存じのように小西議員が自衛官に暴言を吐かれた事件がありました。
産経新聞で隊員の調書でそのやり取りが公開されました。
隊員が「国のために働け」と聞こえるように言ったそうです。
小西議員はそれに対し、
「国のために働いています。安倍政権は、国会で憲法を危険な方向に変えてしまおうとしているし、日本国民を戦争に行かせるわけにいかないし、戦死させるわけにもいかないから、そこを食い止めようと思って、私は頑張ってやっているんです」
隊員は
『小西議員の「戦死」という言葉の使い方が非常に軽く感じ、私のこれまでの災害派遣任務で経験したヘリから基地に空輸されてきたご遺体を目の当たりにしたときの強い衝撃や使命感、そしてすべての自衛官が持っている「事に臨んでは危険を顧みず」という覚悟を軽んぜられたと感じた』
と話しています。
私は暴言を吐いてた自衛官のことを知っています。同じ勤務をした仲間です。
彼には直接連絡を取っていませんが、彼の気持ちを汲み取って現場の自衛官がどうのような気持ちで職務を遂行しているのかを知ってもらいたと思います。

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(過去ブログはここをクリック〜「国民の敵」!?自衛官の言論封鎖!!シビリアンコントロールって!?〜)
(過去ブログはここをクリック〜小西参議院議員 握手したのに・・・・許してないよって・・・〜)
当事者自衛官の証言
- 思わず「国のために働け」と聞こえるように、大きい声で言ってしまいました。
- それに対し、小西議員の方からも「国のために働いています。安倍政権は、国会で憲法を危険な方向に変えてしまおうとしているし、日本国民を戦争に行かせるわけにいかないし、戦死させるわけにもいかないから、そこを食い止めようと思って、私は頑張ってやっているんです」という反論がありました。おそらく、小西議員は日頃からネット上やさまざまなところで、いろいろな反対意見・批判を受けていて、そのたびに憲法や平和安全法制の話題で対立していたので、この種の反論になれているように感じました。
- 「戦死」を身近に感じている私にとっては、小西議員の「戦死」という言葉の使い方が非常に軽く感じ、私のこれまでの災害派遣任務で経験したヘリから基地に空輸されてきたご遺体を目の当たりにしたときの強い衝撃や使命感、そしてすべての自衛官が持っている「事に臨んでは危険を顧みず」という覚悟を軽んぜられたと感じたので、「俺は自衛官だ。あなたがやっていることは、日本の国益を損なうことじゃないか。戦争になったときに現場にまず行くのは、われわれだ。その自衛官が、あなたがやっていることは、国民の命を守るとか、そういったこととは逆行しているように見えるんだ。東大まで出て、こんな活動しかできないなんてばかなのか」とむきになってしまい、言い返してしまいました。
私は、この当事者自衛官と同じ救難隊で勤務していました。彼は非常に体力もあり、知的で、情熱的な人でした。
今回の件で彼と話はしてませんが、彼の気持ちを推察できるところはありますので少し書いてみようと思います。
災害派遣などを通じて思うこと
救難隊として勤務していた頃の話ですが、救難団は「救難最後の砦」として「最後は俺たちが諦めたらサバイバー(要救助者)は、亡くなってしまう」と思って日々訓練をしていました。
「訓練は実践のごとく、実践は訓練のごとく」という気持ちでありました。訓練というのは、今までやってきたこと身に付けるものもありますが、さらに能力を高めるために安全策を取りながら、新しい訓練を行っていました。」
災害派遣を初めて経験した時は、要救助者を助けることができて本当に嬉しかったことを覚えています。
災害派遣を通じて、自信となり誇りとなりました。
しかしながら、残念ながら救助者を助けれなかったこともあります。
タンカーから心筋梗塞者の救助をしましたが、2時間近く救難員がずっと心臓マッサージを行っていましたが助けることはできませんでした。
松島救難隊では、近くの洋上で隣接部隊の百里救難隊のヘリが訓練中に洋上にご遺体が浮いているのを発見し、腐敗もしていましたがピックアップをし松島基地へ搬送したこともありました。
それらの経験は「救難最後の砦」として誇りを持っていた私の自信が、奈落の底に落とされる気持ちでした。自分の力の無さを痛感させられたのです。
死化粧をされていないご遺体というものは、みなさんがもつご遺体のイメージとは異なり、初めて見た方は、肌の色なども衝撃を受けると思います。
災害派遣だけでなく、私が勤務中にも先輩の殉職もありました。
平成29年10月17日に浜松沖で墜落した「機長 2佐 花房 明寛」については、私も、暴言も吐いた彼も同時期に勤務していました。
殉職や人の死に受け入れなければならない環境にあった立場では「死生観」というものを考えることになります。
彼が救難隊に勤務していたため、同じように彼も苦悩したに違いありません。
同じ職場にいる時に、彼は体力的にも、性格的にも人の中心になるような人でした。
彼も初めて要救助者の死を目の前にした時に言ってたのは、「様々なことに自信はありました。俺はやれないことはないのではないか。誰でも救える!どんなに働いても潰れない!という自信がありましたが、自分は何を言っていたのか。何もできないではないか!という気持ちになりましたよ」と落ち込んでいたのを覚えています。
自衛隊に対して愚直で、国防のために本当に考えていた隊員でした。
きっと彼も人の死を受け入れて、平和で人が死ぬことのない世界を自衛官としていかに作るかを考えていたのだと思います。
自衛隊の殉職者
平成29年度自衛隊殉職隊員追悼式によりますと
顕彰者数累計(警察予備隊以降、平成29年度追悼式まで)
1,934柱(陸自 1048柱、海自 440柱、空自 419柱、その他 27柱)
これだけの方が殉職し、現在の3自衛隊が存在しております。
実はこの一つの柱が私の父親であります。
殉職された御霊のためにも自衛隊が抑止力として、自衛隊は日本の平和と安全が保たれなければなりません。
そのために日々訓練と実任務をしている隊員の方に敬意を表したいと思います。

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